東京の百貨店に、全国の伝統工芸品と職人がやってくる催事があった。そこで話した工芸士が印象的だったので、ここに留めておきたい。
会場は閉店時間前のため客が少なかった。そうでなくとも工芸品、調度品や高級織物を扱う催事が賑わうのは、ちょっと裕福な夫婦がブラブラ歩く休日の昼間だろう。平日夜に銀座でやっていたハワイ展なんかは、遅くまで女子で賑わっていたが
(工芸展の写真がないので実家の父のコレクションを挟むとする)
ここは日本橋だ。人まばらな中で、自分のような若輩者は、浮いていた。客として見られていない気がした。実質自分は買える立場ではなく、工芸士という芸能人を見に行っていた。
たまに相手にしてくれる販売員もいた。陽気な口調で「出会いを大切に~」と誘い、勧める試し寝のベッドが60万円
まあ座ってみてヨ!と導入は椅子から
差し出す商品のちらしを「なくさないように直ぐしまって!」と言う目が鋭く、別れ際に「出会いを大切に~」とまた呪文のように唱えられた。(寝心地は最高でした)
冒頭の工芸士はというと、いかにも職人の雰囲気を出していた。堅い表情。年配の木工職人で、ミノで彫る実演の机回りに、作品が並ぶ。誰もが圧倒するであろう見事な細工の獅子や仏像などの品々には、数十万円の札が付いていた
若輩者が容易く近づいてはならない、と自分はその展示区画が視界に入るところのベンチに座り、眺めることに
すると10才に満たないくらいの少年がやって来て彫刻作品を見始めたが、それらは容易に手が届く所にある。士は子供を目の前にしても何も語らない。子供VS.高級品VS. 堅物な士の光景に、自分は勝手にハラハラした。
しばらくすると少年の父が現れた。場は和やかに、自分の緊張は解かれた。そして親子らしい会話が聞こえてくる。
「ねずみ(置物)がいっぱいいるね」
「カエルもいるね」
それまで黙っていた工芸士が口を開く。
〝ねずみがどれも小さく作られているのは、大きいとコワイから。だけど干支の生き物だから需要はある。カエルも縁起物だから人気ある〟等々。なるほどな話の数々に自分は辛抱できず、ベンチを立ち歩み寄った。一緒に話を聞かせてもらう
なお工芸士の話は発したままでなく、自分の記憶の覚書きだ
〝白い部分は外、茶色い部分は丸太の内側。全て1つの木材から彫り上げる。色と木目を活かす〟
〝ほおずきはわざと荒く彫っていて、外国人に人気〟
一人でいては聞けなかった話がぼろぼろと語られる。メモを取れないことが惜しかった。
そうしているうちに親子は去ったが、この縁を作ってくれたことに感謝したい。
その場が工芸士と自分のふたりになった。
うちの父が彫刻など好きでして…等その場をしのぐ話をしたが、子供のような無邪気な質問はできない。士に失礼をおかさないうちにと、引き際を探っていた。
が、何の展開だったのだろう。工芸士の裏話を聞くことになった。
〝15年前からこの催事に来てるけど、しばらくの間は人見知りがひどくて全く話せなかったし、話すと訛りが出て気が動転して嫌だった〟
…憧れの伝統工芸士が弱音とは、急に身近な存在に感じた。工芸士(以下おじさん)も人間だもの。
〝実演という見世物になることが嫌だった〟
… 正に自分はこの工芸展を見物に来ていた。どうしようもない、すまない気持ちに。
〝工芸に携わる最近の人は大学まで卒業していて羨ましい。勉強しておけばよかった〟
…おじさんは中卒だ。職人とはそういうものと当然に思っていたが、コンプレックスだとは。おじさんはもはや年齢のため諦めたそうだが、「きみは英語やったほうがいいよ」と言う。そんなありきたりの言葉が、この時はグサリときた。
〝けど最近の人はけっこうハチャメチャやってるよ〟
…仕事と遊びのメリハリだろうか。
〝娘が同業で、節句人形などの『売れるもの』を作っている〟
…おじさんは美術的、娘さんは実用的作風。
昨今、町の展覧会を訪れてみると、美術品が売れないという話が聞こえてくるし、美術館では基金を募っていたりする。業界の切実なところだ
閉店時間をむかえて帰るが、店で交わされる定番の「お買い上げありがとう」「また来ます」などの挨拶は我々に当てはまらない。自分は買物していないし、この先も当分買えそうにない。客ではないのだ。これまで興味深い話を聞かせてもらったが、別れの言葉を選ぶことが難しかった。
伝統的工芸品というのは、昔からあって、人の手によるもの、というような規定がある。条件を満たし完成された美術的製品。これにおじさんの内情を知ったら、民芸的価値も抱くこととなった。一彫り一彫りに温もりを感じる。がぜん欲しくなるではないか
こうやって美術工芸品に興味を持つ人が増えて、売れる時代がくるといい
おじさんが作ったものをいつか買いたい。お金貯めないとな。あと英語もやらないとな。